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終末期のクライアントに、その人が「望むがまま」に施術をしてはいけない7つの理由 7-reasons-not-give-client-whatever-want-end-life By Tracy Walton (トレイシー・ウォルトン) 訳:石井万里子 ***************************************************** この文章は、米国ホスピタル・ベイスド・マッサージセラピー、オンコロジーマッサージセラピーのパイオニアのお一人である、トレイシー・ウォルトン先生の2016年6月5日ブログ「7-reasons-not-give-client-whatever-want-end-life」を石井万里子さんが日本語訳したものです。原文は、下記のサイトをご覧ください。 http://www.tracywalton.com/7-reasons-not-give-client-whatever-want-end-life/ 終末期の患者さんのみならず、医療環境下や、高齢者の方へのタッチセラピーなどで気を付けるべき大切な点が書かれていますので、ぜひご参考にしてください。 (NPO法人タッチケア支援センター) ***************************************************** 「先週のマッサージはいかがでしたか?」 そう尋ねた私に、ベッドに横たわった私のクライアントは答えました。 「よかったわ、ほんとに。でもね、正直に言うともっと強い圧の方がうれしかったの。今日はもう少し強めにしてもらえるかしら」 彼女はもうかなり進行した膵臓がん患者で、強い痛みにずっとさいなまれています。その苦痛からひととき解放されたいと、強いマッサージを希望されるのでした。 このようなやり取りはこれまでに幾度となく経験していますが、常にとても重要な瞬間です。私の果たすべき役割、同情心、倫理観が頭のなかでぶつかり合います。私は、深く呼吸をし、それから答えます。 「望みを叶えてあげなさい」と言う人がいるけれど 仮定してみてください。これはあなたのクライアントです。病は重く、彼女の余命はもう長くありません。いつも激しい痛みにさいなまれています。そしていまあなたに強い圧のマッサージを求めています。いえ、懇願しています。あなたはどうしますか? こう訊くと、生徒の立場の人はどうするべきでしょうかとか尋ねます。先生の立場の人はこのようにしなさいとアドバイスします。現役のマッサージセラピストたちはフェイスブックで自分の意見を述べ合います。 このような議論になったとき、必ず出てくるのが、「もう先がない人には、望み通りにしてあげなさい。」というアドバイスです。その「望み」というのが、終末期にある重篤な患者さんに強いマッサージをするというようなことであろうともです。余命わずかなクライアントなのだから、望みのものを与えてあげればいい。通常の注意事項を杓子定規に当てはめることはない、というのです。 いいえ、違います。答えはNO。ただ、NOです。 このようなアドバイスをしたくなる気持ちはよくわかります。つらい状況にある人の痛み・苦しみを少しでも和らげてあげたいという使命感からくるものでしょう。それでも、「なんでも望むものを与えましょう」というのは間違った答えです。 この状況では、通常よりさらに厳しくガイドラインに沿う必要があります。決してガイドラインを気にしなくてよくなるのではありません。終末期にある人へのボディワークには、ことのほか注意深さと慎重さが重要となるのです。 私は、さまざまな倫理的・実践的な理由から、またプロとしての自覚という観点からも、このことを強く意識しています。その理由のいくつかをここでご説明しましょう。 1. 「お客様は神様です」は道徳的な責務ではない マッサージセラピーの現場で「クライアント第一主義」はよい理念ではありますが、それはしばしば「お客様は神さまです」という古い慣用句と同義になりがちです。すなわち、お客様はお金を払い、好きなものを選ぶ。援助のプロとしての私たちの仕事はお客様が選んだものを提供すること。 重い病に冒されている、もしくは人生の最後が近づいているクライアントが痛みに苦しんでいたら、その人の望むことなら何でもしてあげたいと思うでしょう。その痛みの激しさを目の当たりにしたら、平常時の注意事項などかまっていられない。それにクライアント自身が、自分に必要なものが何かを一番よくわかっているはず。そう思うことでしょう。 しかし、私たちの仕事は相手が望むものを与えることではありません。クライアントの満足は、私たちのケアプランで目標とする多くの事項のひとつに過ぎないのです。それに、「自分の体のことは自分が一番わかってる」とよく言われますが、人間の振舞いにはそれと全く逆の例がたくさん見受けられます。 このような状況に置かれたとき、私たちがプロとして取るべき行動は、少し距離をとってよく考えてみること。このクライアントの判断はいつも正しいかどうかを思い出してみることです。私たちが強いリーダーシップを発揮し、より用心深くあらねばならないことを、この後に挙げる理由から確認していきましょう。 マッサージセッションの最終的な安全責任は、クライアントではなく、プロである私たちが負うのです。 2. 緩和ケアでは、副作用を考慮しなければならない 「なによりも、害をなすことなかれ」という教えは「すべての安全措置を放棄しなさい」ということではありません。 緩和ケアは痛み・不安・吐き気などの軽減を主眼としますが、それらの症状緩和のために何を・どのくらい処方するかは、それに伴う副作用とのバランスを慎重に見極めながら決めねばなりません。 マッサージをし過ぎることも副作用を伴います。マッサージセラピーを本当に緩和ケアの一部とするために、私たちは副作用を最小にとどめる適切な施術量を考えねばなりません。強すぎるマッサージが事態を良くするどころかかえって悪化させてしまうという場合をいくつか挙げてみましょう。 ・痣(あざ)・痛み 強い圧は痣(あざ)を作る原因となり、痛みを増悪させます。痛みに対する不安が生じ、機能低下を招きます。 終末期になると肝機能低下で痣ができやすく、出血しやすくなります。 ・血栓リスク 終末期にある方の本当に多くが、深部静脈血栓症の差し迫ったリスクを抱えています。血栓ができても、その半分くらいは症状が外に現れません。深部静脈血栓は下肢にできやすいのですが、その兆候を発見することは困難です。なんと怖いことでしょう。ですから、終末期のクライアントに関わるセラピストは、下肢に圧を加える時や下肢の関節を動かす時には十分に注意をしなければなりません。深部静脈には触れようとすることさえも避けるべきです。なぜかといえば、血管の中に浮遊している血栓は危険性が高く、場合によっては命に関わる事態を引き起こすからです。重い病気の人は体のあちこちに血栓を持っていますので、マサージセラピストはよく勉強し、クライアント一人ひとりのリスクを慎重に吟味しなければいけません。 ・体液バランス 終末期には、腎臓、肝臓、心臓に不具合が起こると体液のバランスが不安定になります。むくみの原因は様々で、リンパ浮腫であったり、その予備軍である時もあります。むくんでいるところに触れ、むくみを取ってあげたいという気持ちにかられますが、不適切なマッサージを行ったり、あたためたりすることで状態を悪くしてしまう可能性があります。ほとんどの場合において、マッサージセラピストにできる最良のことは、その時の状態をそのままにしておくこと。体液を動かすような施術はしない方がよいのです。 ・骨の強度 進行癌やその他の原因で、外見からはわからなくても、骨がもろくなってしまっていることがあります。中くらいの圧でマッサージしたり、強めに関節を動かしたりするだけで骨折してしまう可能性があるのです。 冒頭にお話ししたクライアントは、このような要素を複合的に持っていて、骨への転移と肝機能障害がありました。複数の要因が重なって、彼女の深部静脈血栓症リスクは高いものになっていました。 これらは、ぱっと見てすぐに気づくようなものではなく、注意深く調べないとわかりません。最初の問診、何ヶ月も彼女を担当してきた経験、それに加えて独自のフォローアップ調査などを通して私はそれらを見つけ出していきました。すべて、昔ながらのアプローチによって検討していったのです。 もっと強い圧でというリクエストに応じ、彼女の希望をそのまま聞き入れるという安易な選択をしていたら、私のマッサージは「やりすぎ」になり、のちの不快感や、もっと悪い結果をもたらしていたかもしれません。私たちが初対面で、関係の積み上げがなかったとしたら、リスクは更に大きくなったことでしょう。 終末期のクライアントへのマッサージのゴールは苦痛の緩和です。つまりマッサージセラピストは緩和ケアを施す要員として働いているのです。ヘルスケアプラクティショナー、ヘルスケアプラクティショナー兼マッサージセラピスト、それともまったく別のサービスを提供する人、あなたが自分のことをどうとらえていようと、「害をなすことなかれ」という大原則に従わなくてはなりません。 3.セラピストとクライアントだけの問題ではない マッサージセッションは、その性質上当然ながらプライベートなものです。マッサージセッションの間に起こることはその場の中だけに留められ、表に出ることはありません。クライアントが終末期にある場合は、特にそうです。このことが、セラピストをクライアントの要求に従いたい、用心を少し疎かにしてもいいという誘惑に駆り立てます。結局のところ、誰も見てないんだから。そうでしょう?マッサージセラピストはクライアントだけに忠実であればいいんじゃないの? 実際には、マッサージセラピストとして私が説明責任を負うのはクライアントだけではありません。他にもたくさんの関係者がいます。クライアントが亡くなった後であっても、私はご遺族や医療チームの質問に答えなければなりません。もし通常のやり方から逸脱し、害を与えた、もしくは与えたと思われるようなことをしたとすれば、そのクライアントのケアに関わった人全員に説明をしなければなりません。 場合によっては、上司や雇用者、賃金を払ってくれるサードパーティにも説明する必要があります。マッサージセラピストの業界団体や許認可団体にも。損害賠償保険業者にも。私たちは互いに説明責任があるのです。そうです。クライアントとセラピストだけの間にとどまらず、説明責任の範囲は大きく広がっているのです。 マッサージセラピストが症状を和らげるために行った強めのワークが、おそらくデリケートな組織を傷めてしまった結果、後で余計に痛みが強くなったというようなことを想像してみてください。あるいは、間違った方向へのストロークがリンパ浮腫を引き起こしたり、悪化させたりしたということを。あるいは病弱なクライアントに中くらいの圧のマッサージを行った後、吐き気やウィルス性疾患のような苦痛が増したということを。それほど強くない圧であっても弱っている身体には刺激が強すぎるということがあります。 これらは、強い圧でのマッサージで起こり得る数えきれない話の中のほんの幾つかの例に過ぎません。(研究熱心なみなさん、副作用についての調査結果を提示しなくても私を信じてください。私をフォローし、私が直接見聞きした話を聞いてください。私がなぜ「害があるという証拠」より「害があるかもしれない兆し」をボディワークの指針として優先するのかわかっていただけると思います。) 施術のし過ぎによる副作用は、費用のかかる、誰も望まない、クライアント自身とその家族にとって精神的苦痛となる医療的介入の連鎖を招いてしまうかもしれません。終末期においてはその確率は特に高くなります。 4.直感が常にあなたを正しく導くとは限らない 強い圧でマッサージを行うことを、直感がクライアントを守るから大丈だと正当化するセラピストがいます。「直感に従っていれば、害を与えるようなことは決してありません」と言うのです。 意思決定における直感の役割について述べようとすると、長い議論になり、ブログの記事一本を丸々費やしてしまうでしょうから、今は単に、直感は誤ることがあるということを指摘するにとどめます。私たちの仕事で、どんな時も常に直感が正しく働くという人などいないのです。 私の直感は、寝不足だったり食事が足りていなかったり、ストレスが溜まっていたりするときには簡単に鈍ってしまいます。本能的直感で正しいと思ってしたことが的はずれな結果を招いてしまうことがあります。これは、私の場合ですが。マッサージセラピストたちは、自分の直感に従ってこうやった、ああやったという話をよくします。私はその場にいなかったし、実際うまく運んだのだとしても、彼女たちのやったことは一般常識からも、医療の慣例からも、マッサージセラピーの慣例からもかけ離れたことばかりです。 もしあなたのクライアントが強い圧を望み、あなたの直感がそれに同意したとしても、それよりもっと重要なことがあると気づいてほしいのです。直感それ自体はマッサージセラピーで非常に重視されているものですが、他の確かな技術とともに用いられるときに最大の効果を発揮するもので、ただひとつの羅針盤として用いられるべきものではありません。直感でうまくやっているように見えるドクターや看護師は、直感とともに長年の経験と多彩な技術を働かせています。必要な情報や良好なコミュニケーション、推論する能力といった要素がマッサージセラピストとしての臨床的スキルを高めてくれるのです。 直感をむやみに信奉したり、直感に頼りすぎてはいけません。微妙な領域で間違いを犯さないためには、きちんとした医療的意思決定プロセスに従うことが必要なのです。 5. マッサージセラピストが快適であることは、クライアントが快適であることと同じくらい重要 クライアントの激しい苦痛は見るに耐えないものです。言うまでもなく第一に考えなければなりません。クライアントを取り巻く人々にも苦しみの波紋が広がってゆき、そのような状況は私たちの心を強く揺さぶります。私たちはその苦痛に対処するため袖をまくりあげ、自分たちの身を削ってでもあらゆることをしようとします。どんなことでもやりたいと思い、たとえ強い圧を加えるということであっても、それを提供してあげようと考えます。それをしないことは、人としてありえないことに思えるのです。 しかし、慈悲の心を持つことと、境界を設けることは、両立させることができます。強い圧でのワークを断っても、クライアントをないがしろにすることにはなりません。 セラピストとして、私自身もそのクライアントを取り巻く輪の中の一員です。私には私の、尊重すべきニーズと責任があります。夜、しっかり睡眠をとるために、後悔で眠れなくなるようなミスはできるだけ少ないほうがいいですし、これから先何千回もマッサージセッションをしていくために、内側の葛藤や迷いでエネルギーを浪費してはいられないのです。仕事をしっかりと安全に果たすために、私の心は安らかでなくてはなりません。 実際、行動の周りに明確な基準の線を引くことで、私は心の準備を十分に整えて仕事に取り掛かることができます。そうすることで私の心に思いやりの気持ちがすみやかに溢れてきます。気がかりで重くなった手より、軽く優しい手の方が、その気持ちをずっとよく伝えられるでしょう。 優しさをもって働くということは私自身によい効果をもたらします。それを私のクライアントにも届けたいと思うのです。 6. ヒロイックな行いは気分がよいけれど、それにのめり込んではいけない 終末期のケアのような差し迫った状況では、様々な要因が作用します。死を思う時にいつも感じる痛みと怖れ、私たち自身の厄介なエゴ、人の死を見続けてきた歴史、助けることのできた経験と、助けられなかった経験。私たちは自分自身の痛みを誠実に受け止めてきました。でもそのことが私たちの決断を鈍らせもするのです。 自分の中に不安定な何かを発見した時、私たちはそれを急いでどうにかしようとします。クライアントの要望に従ってしまいたいという衝動は、私たち自身の不安定さへの反応なのかもしれません。他人の痛みや苦しみさえ耐えがたいのに、自分の苦しみであればなおさらのこと。私たちは急いでそれを手放そうとしてしまいます。 急いでしまう理由は他にもあるかもしれません。私は私自身を、問題解決ができる人間だと思いたい(だれかドアを開けて私のこのエゴを追い出して!)。この自己イメージを守るため、私は解決策と思うものに飛びつき、通常の用心をすっ飛ばして強い圧を望む人に強い圧を与えてしまうのです。急いで何かをしようとする時、往々にして妥協的な判断をしてしまいます。 でも、クライアントが求めているのは助けであり、ヒロイックな行為ではありません。私たちが修練しているのはマッサージセラピーで、救急医療ではありません。衝動的な思いは常に監視しましょう。ほとんどの場合、何をするのが正しいか考える時間はあります。 良質なマッサージは、そのアプローチに、考えるために立ち止まることを含んでいます。細胞組織は安定しているか、どんな要因が特定の部位でその安定性に寄与できるのか、あらゆる場合を考えます。機能低下している臓器はどれか、それが身体全体にどんな影響を及ぼしているかも考えます。 仕事をしていない、オフの時間は何をすればいいでしょう? 振り返りの時間を十分に取って、正しい判断の妨げになる心の痛みや恐れの感情を癒やします。終末期に関する本を読み、知識を深めます。ホスピスでのボランティアのトレーニングに参加します。死に関する対話会を組織したり、参加したりします。自分たちがこれからどこへ向かうのか、その途上で自分たち自身を癒すために何が必要かということに、人の助けを得て、よりリラックスして向き合えるようにします。 7. 緩和ケアの現場では、私たちもプロフェッショナルチームの一員 緩和ケアは、標準技法をきちんと身につけた、経験豊富なプロフェッショナルのチームによって提供されます。ヘルスケアサービスの提供者は、最新の注意を払って一回あたりの投与量を調節します。ケアは幾重にも階層が分かれており、あらゆる要因を考慮せねばなりません。 今は単独で行動する時代ではありません。マッサージセラピストも物事を自分の手の中にだけ収めておいたり、カウボーイスタイルで個人的な努力をしたりするのではなく、チームの一員として役割を果たすことを求められます。 チームワークを尊重しましょう。マッサージセラピーを、患者さんのケアに境目なく統合させていきましょう。 具体的にはどういうことでしょうか?それは、やさしい施術。たっぷりの施術より少し物足りないと思われる施術。可能なかぎり、フォローアップして観察すること。 そして、しっかり状態を照会すること。質問すること。もし適切でやさしいマッサージがあまり効かないようなら(効いているときでも)、このように言ってみましょう。「主治医さんをお呼びして、痛みのことを相談したほうがよいかもしれませんね。」「ホスピスの看護師さんが訪問されるのはいつですか?」「あなたの治療チームの皆さんに、もっと助けていただくようお願いしてはどうですか?」 チームの皆さんがあなたのことをチームの一員だと思っていなかったとしても、一員としてふるまいましょう。もしチームが存在しないとしたら、訊いてみましょう。「誰があなたを助けてくれているのですか?」「あなたもご家族ももっと楽になるように状況は改善できると思います。誰にご連絡すればいいでしょう?」 終末期での私たちの役割 一回の施術の量、強さ、副作用について吟味するとき、初心に帰って、「害をなすことなかれ」の原則を思い出すことで、「やりすぎ」の罠にはまることはなくなります。 直感のみに頼らず臨床的な手法を用いることで、私たちのワークは形式的にも知識の面でも十分なものとなります。 自分自身のニーズと、説明責任を負うすべての人のニーズの両方に敬意を払うことによって、私たちはクライアントを取り巻くケアの輪の一員となることができるのです。 マッサージセラピーは、ペインコントロール、介護、終末期ケアの世界で大きな注目を集めています。自分たちのスキルに思い上がらず、謙虚さという健全な態度でもって臨むなら、私たちマッサージセラピストはそれらの世界との架け橋を築き、多くの人を助けることができるでしょう。チームプレーの一員となることで、私たちはより高い効果をもたらすことができます。クライアントやケア提供者とうまくコミュニケーションが取れるようになれば、私たちがリーダーシップを発揮することもできるでしょう。 思いやりと思慮深さをもって取り組めば、終末期ケアにおいての私たちの役割は、大きな感謝を得られるものとなるはずです。 私がどのように「ノー」を言ったか クライアントからもっと圧を強くしてほしいという望みを聞いた私は、彼女の横に座りました。呼吸を整え、まっすぐ彼女の目を見ました。そして、あなたの望みはよくわかるし、それを必要と思う気持ちもわかります。私もあなたの痛みを和らげるために、できるだけのことをやりたいと思っています、と言いました。 そして耳を傾けました。彼女に、症状をもっと詳しく説明し、不快感のある場所を教えてくれるようお願いしました。彼女の話すことを注意深く聞き、幾つかの質問もしました。そして「今回は、痛みのある場所にしっかり意識を向けるようにしましょう」と告げました。 そして、私ができる手法を検討してみて、経験上以下のような方法が効果があると思うと説明しました。身体を心地よく支えられるようにボルスター(補助枕)をの位置を工夫する。やさしい動きで筋肉の張りと凝りに働きかける。必要なタイミングで、「手が触れているところを意識して呼吸する」ことを指示する。ストロークは静かに、長く。細胞組織をホールドする手はシンプルで穏やかに。 クライアントは少し不満そうでしたが、それでも「わかったわ」とその施術プランを受け入れてくれました。私は施術を始めました。 1時間後、クライアントが眠ってしまっていると思い、私はそっと帰る支度をしました。忍び足で出て行く背中に、「ありがとう」と眠そうな声が聞こえました。少し楽になったようです。 クライアントの気分がよくなると、私もまた幸せになるのです。 Tracy Walton (トレイシー・ウォルトン) 訳:石井万里子
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| 2016-09-04 16:00
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